グリンダが岩でいいのか?ウィキッド「あなたを忘れない」の歌詞

お直しレベル:中(ほどほどの長さの記事です)

今日の気になる訳詞

ウィキッドの “For Good”(邦題:あなたを忘れない)より。

グリンダが歌う

小舟をいざなう 風のように 花の種はこぶ 鳥のように

と、エルファバが歌う

せせらぎを分かつ 岩のように 砂の山ながす 波のように

は、共に

私を変えてくれたの

と続き、「お互いがお互いと出会ったことで、以前の自分から変わることができた」ということを、主に自然のものに例えて伝え合う大変美しい歌詞です。

 

原文とその直訳

原文である英語歌詞がどうなっているのか、見てみると…

グリンダは次のように歌っています。

Like a comet pulled from orbit As it passes a sun Like a stream that meets a boulder Halfway through the wood

ざっと日本語訳すると、このような意味です。

恒星の近くを通るときに 軌道からそれる彗星のように
森を抜ける途中で 大きな岩に当たる小川のように

 

ちなみに、ここでの “sun”は「太陽」に限られず、太陽を含む「恒星(自分の力で輝く星)」を指します。なぜなら、 “sun”の前の冠詞が “a”になっているからです。これが “the sun”だと、太陽系の中で特定可能なただ一つの “sun”、つまり「太陽」を意味します。ところが、 “a sun”は数ある恒星のうちの一つを意味するため、太陽に限定されないのです。

 

エルファバは次のように歌います。

Like a ship blown from its mooring By a wind off the sea Like a seed dropped by a skybird In a distant wood

日本語ではこのような意味になります。

風に吹かれて係留を解かれ 海に流される舟のように
空飛ぶ鳥が 遠くの森に落とす種のように
スポンサーリンク

訳詞と原文の違い

訳詞も原文も、自分と相手を自然のものに例えて、相手と出会ったことで自分が変わったということを示している点は共通しています。

ただ、次のような違いがあります。

違い1

訳詞でグリンダが歌う「小舟をいざなう 風のように」「花の種はこぶ 鳥のように」は、原文ではエルファバが歌っている。

違い2

訳詞でエルファバが歌う「せせらぎを分かつ 岩のように」は、原文ではグリンダが歌っている。

違い3

訳詞でエルファバが歌う「砂の山ながす 波のように」は原文には存在せず、代わりに「恒星の近くを通るときに 軌道からそれる彗星のように」という意味の歌詞をグリンダが歌っている。

 

まとめると、

グリンダとエルファバの歌詞がほぼ逆転している

ということになります。

 

原文の狙い

原文の内容をもう少し詳しく見ていきます。

グリンダが歌う

恒星の近くを通るときに 軌道からそれる彗星のように
森を抜ける途中で 大きな岩に当たる小川のように

において、「恒星」「岩」はエルファバの、「彗星」「小川」はグリンダの例えです。

これらの例えは、

もともと自力で突き進んでいたもの(彗星小川=グリンダ)が、大きくて不動の存在(恒星=エルファバ)に出会って動きを変えた
という、グリンダがエルファバから受けた影響を表しています。

一方、エルファバが歌う

風に吹かれて係留を解かれ 海に流される舟のように
空飛ぶ鳥が 遠くの森に落とす種のように

において、「風」「鳥」はグリンダの、「舟」「種」はエルファバの例えです。

これらの例えは、

もともと動くことができずに止まっていたもの(=エルファバ)が、自由に動き回る軽やかな存在(=グリンダ)に出会って動き始めた
という、エルファバがグリンダから受けた影響を表しています。
スポンサーリンク

訳詞の問題点

これを踏まえたうえで訳詞に戻ります。

下図に示すように、グリンダの訳詞は例えの内容がグリンダとエルファバの性質と一致していません

グリンダの訳詞は例えの内容がグリンダとエルファバの性質と一致していない

 

エルファバの訳詞はというと、下図に示すように例えの内容に統一性がありません

エルファバの訳詞は例えの内容に統一性がない

一見すると美しい訳詞ですが、完璧な対応関係を示し「出会ったことでどのように変わったか」まで表す原文と比べると、少し物足りなさを感じます。

 

訳詞ではなぜ対応関係が崩れたのか?

あくまでも想像ですが、原文の対応関係が訳詞に反映されなかった理由を考えてみます。

理由1

グリンダの歌詞の「恒星」と「彗星」を使うには文字数が足りなかった?

理由2

その代案が「恒星」と「彗星」の対応関係とは異なる「砂の山ながす波」となったので、他の部分も対応関係を維持する必要がなくなった?

理由3

その結果、語感を優先して歌詞が割り振られた?(グリンダが「花の種」や「鳥」と言った方が彼女の可愛らしい雰囲気に合うなど)

 

スポンサーリンク

訳詞のお直し

今の訳詞でも十分素敵ですが、原文の対応関係を知ってしまったからには訳詞でも成立させたいと思ってしまうのが翻訳者ゴコロ…

そのためには、 “Like a comet pulled from orbit as it passes a sun”と同じ対応関係を表す詞が必要です。

“Like a comet pulled from orbit as it passes a sun”に代わる詞を作る

訳詞の条件は、

①「自力で突き進むもの」が「大きくて不動のもの」によって動きを変えるという内容
②グリンダを表す前半は8文字、エルファバを表す後半は6文字(「~のように」が固定なので実質2文字)

の2点です。

これを基に考えてみると…

 

まず、「恒星」と「彗星」の関係の肝となる「引力」に着想を得て、月の引力によって潮が満ち引きする様子から

海引き付け去る 月のように

が浮かびました。が、わかりにくいですし、「海」は動的な印象を与えない気がします。どちらかと言うとどっしりして「大きくて不動のもの」に近いイメージがあるような…

 

降り続く雨が海に吸い込まれてその一部になる様子から

雨の脚抱く 海のように

…これもわかりにくいですし、雨が海の一部になるのは「動きを変える」とは違う感じがします。

 

光が海面に反射してキラキラと輝く様子から

陽の光散らす 海のように

…今までの中では一番良いような?

情景が浮かびやすいですし、「まっすぐ進んでいた光(グリンダ)が海(エルファバ)と出会ったことで進む方向は変わったけれど、より輝きを増した」との意味を持たせることもできる気がします。

 

お直し結果

この詞をグリンダの歌詞に挿入してみると…

陽の光散らす 海のように
せせらぎを分かつ 岩のように

となりますが、「陽の光散らす」は「陽の光散らす」の「を」を省略した形なので、「を」が省略されていない「せせらぎを分かつ岩のように」を先にした方が構造的に良さそうです。

そのため、

せせらぎを分かつ 岩のように 陽の光散らす 海のように

小舟をいざなう 風のように 花の種はこぶ 鳥のように

とお直ししてみました。

 

スポンサーリンク

まとめ

今回のお直しのまとめです。

お直しまとめ

新しく加えた「陽の光散らす 海のように」によって、原文の対応関係を損なわずに「どのように変わったか」まで示唆する歌詞にすることができました。

ただ、「これしかない!」と思えるようなしっくり来る歌詞だとは思えないので、今後も引き続き考えてみようと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました