今日の気になる訳詞
前回に引き続き、ジーザス・クライスト=スーパースターでマリアが歌うバラード “I don’t know how to love him”(邦題:私はイエスがわからない)から、
中盤の
男も女も 愛したことさえないわ
それなのに おかしいわ
どうして
に続く、
について考えます。
原文とその意味
「あの人が可愛い」に対応する原文は
です。※厳密に言うと、 “He scares me so”は音的には「可愛い」に対応し、「あの人が」に対応する部分には別の歌詞 “Running every show”が入っていますが、ここでは意味的な対応を指しています。
直訳すると「彼のことが恐ろしい」。
前回の記事でも紹介したように、このフレーズは曲の終盤にも使われ、そこでの訳詞は「怖くない」となっています。
「怖くない」も「可愛い」も原文の意味と全く違うという点では共通しており、“He scares me so”要素が曲全体から徹底的に排除されているようにも思えます。
しかし、もう少し原文の意味を尊重した訳詞にならないものか…と思案する中で、次のような考えに至りました。
“He scares me so”と「あの人が可愛い」は、全く違うように見えて意外と本質的には近いのでは?
以下、原文と訳詞の共通点について考えます。
原文と訳詞の共通点
共通点1:与える印象の強さ
“He scares me so”の前の、「男も女も~」に対応する部分の原文を見てみると…
Don’t you think it’s rather funny(おかしいと思わない?)
I should be in this position?(私がこんな立場にいるなんて)
I’m the one who’s always been(私はいつでも)
So calm so cool(とても落ち着いて、冷静で)
No lover’s fool(愚かな恋に溺れることもなく)
Running every show(淡々と男たちの相手をしてきた)
今まではこんなことなかったのに…と、初めて抱く感情に動揺するマリアの心が平易な言葉でストレートに表現されており、観る人の共感を誘います。
また、“running every”から「来る日も来る日も義務的に淡々と仕事をこなしている」ようなニュアンスを感じ、訳を「淡々と男たちの相手をしてきた」としました。
一方、この流れに続いて発せられる “He scares me so”は、ちょっと異質。
恋した男のことが「恐ろしい」という独白は、それまでの「共感」から一転、観客の意表を突きます。
そして、この意外性が “He scares me so”という歌詞をより印象的にしているように思います。
この点、神の子ジーザスをつかまえて「可愛い」という訳詞も、意味は違えど意外な言葉で強い印象を与えるという効果は共通していると言えそうです。
共通点2:言葉のコアの意味
「怖い」という感情にも色々ありますよね。
マリアが感じている「怖い」には、分不相応な人を愛してしまったが故の畏怖の念のほかに、ジーザスによって心がかつてないほど揺り動かされ、以前の冷静な自分ではいられなくなってしまうことへの漠然とした不安があると思います。
広義に解釈すれば、「怖い」は「ジーザスの存在による心の大きな震え」を表していると考えられそうです。
この点、「可愛い」は今や多義語。心震える対象に対して広く使われ、この場面でもジーザスへの愛にどうしようもなく揺れる心が表現されています。
“He scares me so”と「あの人が可愛い」とでは言葉の意味や受ける印象は全く異なりますが、「マリアの心がジーザスによって抗う術なく揺さぶられる」という言葉のコアの部分は、意外と共通しているように思います。
訳詞の良い点
上のような原文との共通点に加えて、「あの人が可愛い」にはこの訳詞ならではの良い点もあります。
良い点1:ぐっとくる
今まで本気で人を愛したことがないマリアが、人々の崇拝を集める「神の子」ジーザスの苦悩を一人理解し「可愛い」と独り言つ…
こんなに観る人の琴線に触れるシチュエーションは、そうそうないのではないでしょうか?
劇団による本作品のプロモーションビデオでも、この部分が登場することが多いですよね。
好き嫌いはあるでしょうが、多くの人の興味を引く印象深い歌詞であることは疑いようがありません。
良い点2:ジーザスの人間味が感じられる
若きアンドリュー・ロイド・ウェバーにとってこの作品は、イエス・キリストを教会のステンドグラスから引きずり下ろすという試みだったようです。
が、ステンドグラス上のイエス・キリストさえ馴染みがあるとは言い難い多くの日本人にとって、さらにその対極にある「人間としてのジーザス」という概念は非常にとっつきにくいものではないかと思います。
その中で、日常的で身近な「可愛い」という言葉が恐れ多くも「神の子」ジーザスにあてがわれることで、キリスト教圏とは違う文化的背景を持つ私たちでもジーザスの人間味を実感しやすくなっているような気がします。
原文の意味とは違うけれども、作品の本質に迫る一助となる訳詞であると言えるのかもしれません。
訳詞の問題点
以上のように考えると、「あの人が可愛い」はジーザス・クライスト=スーパースターの日本語版の歌詞としては申し分ないように思えます。
一方で、「訳詞」としてはどうなんだろうという思いが拭えないのも確かです。
前回の記事とも重なりますが、ジーザスをひたすらに愛し彼のすべてを包み込む、慈愛に満ち満ちた女性のような印象を与えかねないような…
ジーザスが一人の青年であるように、マリアもまた初めての恋に戸惑う一人の女であり、恐れすら抱きつつも惹かれずにはいられないというのがこの歌において重要な点だと私は思っているので、この点が薄まっているように感じるのは残念です。
訳詞のお直し
そこで、この部分のお直しを試みましたが…なかなか良い案が浮かびませんでした(ここまで引っ張っておいてすみません)。
意味をとれば「可愛い」のようなインパクトに欠けますし、インパクトをとれば意味が乖離して、それなら「可愛い」の方が上述のような素晴らしい点がたくさんあって良いな、となってしまいます。
もう少し考えてみますが、徒労に終わりそうな予感。
「あの人が可愛い」、絶妙な訳詞だなあ。
コメント