今日の気になる訳詞
ジーザス・クライスト=スーパースターにて、マリアが歌うバラード “I don’t know how to love him”(邦題:私はイエスがわからない)より。
終盤の一節、
について考えます。
原文とその意味
原文は次の通り。
訳詞に比べると行も多くかなりの情報量なので、簡単に原文の意味を解説させてください。
注目すべきは、1行目の “if he said he loved me”に仮定法過去が使われていることです。
“If I had enough time and money, I would travel around the world.”(もし時間とお金が十分にあれば、世界一周旅行をするだろうに)
のように、if節に過去形を使うことで、現在の事実とは矛盾することや、現実に起こる可能性のないことを表す用法。
仮定法過去では、if節で過去形を使った後、「~だろうに」に当たる箇所には助動詞の過去形、つまり “would”や “could”などを用います。
原文を見てみると、2行目から5行目の “I‘d be lost”, I‘d be frightened”, “I couldn’t cope, just couldn’t cope”, “I‘d turn my head, I‘d back away”, “I wouldn’t want to know”で助動詞の過去形が使われています。
そのため、1行目から5行目までをたっぷり使って、「もし仮にジーザスが私(マリア)を愛していると言ったならどうするか」ということが様々な言葉で表現されているということになります。
6行目から8行目では現在時制に戻っているので、マリアの純粋な今の気持ちを表していると考えられますね。
これを踏まえると、原文の直訳は次のようになります。
私は困惑し、怯えてしまうでしょう
私には耐えられない、とても耐えられそうにない
顔をそむけて、後ずさりしてしまうでしょう
そんなこと知りたくなかったと思うでしょう
・・・
彼のことが恐ろしい
彼が欲しくてたまらない
彼を本当に愛している
訳詞とは随分と印象が違うような気がしませんか?
以下、原文と比較しながら訳詞の良い点と問題点を考察します。
訳詞の良い点
私は「みつめられたら 何もわからなくなるわ」という訳詞がとても好きです。
原文では1行目の “Yet, if he said he loved me”から5行目の “I wouldn’t want to know”まで、ジーザスから愛されることへのマリアの当惑がふんだんに表されています。
しかも、上述したように仮定法過去が使われていますから、マリア自身は娼婦である自分がジーザスから愛されるなんてあるはずがないと思っていると考えられます。
そのため、“if he said he loved me”(もし彼が私を愛していると言ったなら)を「みつめられたら」とした訳詞は、ジーザスから愛されるなんてまさかと思ってしまう、彼女の悲しい奥ゆかしさが表れていてとても素敵です。
仮に「愛されたなら」などとしたら、愛されるなんてあるはずがないというニュアンスまでは表現されず、むしろ愛されている前提で考えているような印象を与えかねなかったでしょう。
さらに、それに続く“lost”(困惑する)、 “frightened”(怯える)、 “couldn’t cope”(耐えられない)、 “turn my head”(顔をそむける)、 “back away”(後ずさりする)、 “wouldn’t want to know”(知りたくない)という様々な表現が「何もわからなくなるわ」に集約されています。
これらの原文から感じられる「あまりの出来事に自分を見失い、どうしたらいいかわからなくなるさま」を簡潔かつ美しい言葉で表した、秀逸な訳詞ではないでしょうか。
訳詞の問題点
このような素敵ポイントがありつつも、訳詞の他の部分には次のような問題があると思います。
問題1
訳詞には「怖くない」とありますが、原文でははっきりと “He scares me so”(彼のことが恐ろしい)と言っています。
ジーザスの何がどう怖いのかまで書き出すと恐ろしく長くなりそうなのでここでは割愛しますが、ジーザスに対してマリアが「怖い」という感情を抱いていることは、マリアの人物像を考える上でとても重要なポイントだと思います。
それをまるっきり正反対にしてしまうのは、いくらなんでも訳詞として不味いのでは…
よくよく読み込むと実は怖くないという意にとれるのかな?とも考えましたが、曲全体の歌詞を鑑みてもやはり「怖い」としか読み取れません。
曲の流れから考えても、仮定法過去で「もしも」の話をした直後に自分の本心を吐露するという状況で、しかも “I want him so”(彼が欲しくてたまらない)や “I love him so”(彼を本当に愛している)と続く中で、 “He scares me so”だけ嘘八百を言っているとは考えられません。
ここは、ジーザスに恐れすら抱きつつも、彼を求めて愛さずにはいられないのだと解釈するのが自然だと思われます。
問題2
曲の終わりの
どうにもならない想いよ
あの人は失くせない
怖くない
愛してる
は、なんだかとってつけたような駆け足な展開になっています。
今まで悩んでいたのが嘘のように、むりやり心に決着をつけ、最後には迷いなくジーザスを愛することを宣言しているような印象。
大きな愛でジーザスを包み込む聖女に急成長したかのような描写です。
原文では、そんなにすんなりと心を決めた感じではありません。
というより、決心なんてついていないのではないでしょうか。
曲の終わりギリギリまで当惑しながら、イエスを愛する気持ちだけは確かだと自覚するものの、本当はそんな気持ちすら知りたくなかった…そんなマリアの心情が推し量れます。
この作品でジーザスが一人の男として描かれているのと同じように、マリアも一貫して分不相応な恋におののく一人の女として描かれているのではないかと思います。
訳詞のお直し
以上のことから、次のようにお直ししてみました。
問題1の「ジーザスが怖い」という点と、問題2の「最後まで戸惑い、認めたくないと願いながらも、どうしようもなくジーザスを愛する心を自覚する」という点を盛り込みました。
余談ですが、劇団四季版では最後の「愛してる」の「る」で音を1オクターブ上げて歌い終わります。
文字通り高らかに愛を歌い上げるような印象になってしまい、ただでさえ訳詞で表現されていないマリアの戸惑いの感情が、壊滅的に失われてしまうような気がしませんか?
一方、英語版は上がらずに同じ音。静かに呟くように歌い終わります。
派手さはありませんが、まるで自分の中で想いを噛みしめているような歌い方が、歌詞のニュアンスと相まって大きな感動を生みます。
四季でも昔は同音で終わっていたようなのですが、いつからか1オクターブ上がるようになったそうです。
訳詞がそのままでもここだけ変えれば大分違うだろうなあと思うと、元に戻してほしいと願わずにはいられません。
まとめ
今回のお直しのまとめです。
怖い問題も聖女マリア問題も、もちろん考えなしに原文を改変したはずもなく、何らかの演出意図があったのでしょうが…初めて恋を知ったマリアの等身大の心を尊重してほしかったなと、個人的には思います。
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