今日の気になる訳詞
ウィキッドの “As Long As You’re Mine”(邦題:二人は永遠に)より。
曲の終わりの
という台詞。
ずっと疎まれ恐れられてきたエルファバが、フィエロと想いを伝え合い初めて幸せを感じられるという大変感動的なシーンですが、英語だとちょっと事情が異なるようです。
日本語の「幸せ」に対応する部分は“I feel wicked”となっています。
“wicked”の意味
“wicked”は、エルファバを指す「西の悪い魔女」の原語 “The Wicked Witch of the West”に由来し、言うまでもなくこの作品の肝となる単語です。
その辞書的な意味は
つまり、「道徳的に誤った方法で行動する」ということで、日本語訳としては「邪悪」や「不道徳」などが当てられることが多いです。
一方で、“wicked”は口語的な砕けた用法として
という対極的な意味も持ちます。
不思議な気もしますが、日本語でも「ヤバイ」など、本来は悪い意味を持つ言葉を良い意味で使う口語的な用法がありますね。
“for the first time, I feel wicked”の意味
“wicked”の辞書的な意味を踏まえて、また、以前に観劇したウェストエンド版の役者の演技から受けた印象も併せて“for the first time, I feel wicked”で表されているエルファバ気持ちを考えてみると、
という2つの主要な意味の他に、
を含む3つの意味に大別されるのではないかと思います(あくまでも、大別です)。
このような複雑な感情を“for the first time, I feel wicked”というシンプルかつキャッチーなフレーズで表した言葉の妙に感服させられます。センスすごすぎ…
訳詞の問題点
これを踏まえた上で日本語の「生まれて初めて、幸せ」に立ち返ると、上記の3つの意味のうち②のみしか反映されていないように思います。
この台詞を言う時のエルファバの複雑な感情が無視され、純粋な愛の喜びに浸る乙女なエルファバになってしまった印象。
ずっと疎まれて生きてきたエルファバにとってこれが生まれて初めての幸せなのだという告白は観客の情に訴えかけ涙を誘いますが、原文が作品タイトルを使った素晴らしく粋な言い回しになっているだけに、細かなニュアンスが四捨五入されて無難な言葉に落ち着いてしまったという感は否めません。
もちろん、この訳だからこその良い点もあると思います。
例えば、グリンダが “Thank Goodness”(邦題「 この幸せ」)で「幸せだわ」と何度も繰り返すシーンで炙り出される、いわば「虚構の幸せ」と、本当に愛する人と結ばれるエルファバの「真の幸せ」との対比を、この訳によって感じる人もいるかもしれません。
また、「幸せ」という平易な言葉は老若男女誰でもすんなり理解できるというメリットもあると思います(後述するようにデメリットでもあります)。
原文は大変ウィットに富んだ表現であるからこそ、舞台中の一瞬で上記の感情をすべて読み取るのは、特に子どもには難しいかもしれません。
ただ、「生まれて初めて、幸せ」としてしまうと、グリンダという心を許せる友を得ることができた「幸せ」や、魔法使いから招待され自分を認めてもらえた「幸せ」が無かったことになってしまうような気もします。
もっとも、文脈から「愛し愛される幸せが初めて」と理解する方が自然なようにも思われますし、この考えは穿ち過ぎかもしれません。
しかし、そうだとしてもここでの「幸せ」という言葉はそれ以上でもそれ以下でもない、字面通りの意味しか表現できていないように思います。
恋人とのラブシーンでヒロインに「幸せ」と言わせるというのもあまりにテンプレート的ですし、原文で感じられるような深みがありません。
また、今までのゴタゴタのすべてを忘れたかのように「幸せ♡」としな垂れるエルファバを見て「グリンダに申し訳ないとか思わんのか~!」と憤りを感じる人もいるかもしれません(私です笑)。
なにより、周囲から“wicked”と呼ばれることに抵抗してきたエルファバが初めて自分の中の“wicked”を認識するという、物語の上でも大変重要なポイントが消えてしまっているのは残念です。
訳詞のお直し
「生まれて初めて、幸せ」のお直し
“for the first time, I feel wicked”は“wicked”という英単語ありきで構築されているため、そのニュアンスを日本語に反映させるのは至難の業ですが、原文の巧みさのひとかけらだけでも表現したいところ。
何か突破口はないか…と考えて思いついたのが、「悪い女」というフレーズです。
エルファバの代名詞「悪い魔女」と対応させられるだけでなく、「色恋面で不道徳な女性」というニュアンスも感じさせる言葉です。
これを基に考えてみると…
などが最初に浮かびましたが、何か違う…悪い女でいることを開き直っているように聴こえてしまいます。
上の③グリンダへの罪悪感が感じられず、むしろ舌を出して欺いているような、友人を裏切る自分に酔っているようなイヤ~な感じもありますね。
もう少し考えると…
少し罪悪感が出てきましたが、もう一声という感じです。
「今だけは」はこの曲全体に一貫する刹那性にも通じてなかなか良いかもしれません。
少し近づいた気がします。
ただ、「いさせて」というのはフィエロに甘えすぎていてエルファバらしさがないような…
「こんな気持ち初めて」も、ちょっと芝居がかりすぎてリアリティに欠けるかもしれません(もちろん芝居なのですが、同時に観る人の物語でもあると思うので)。
最終的に、
という形に落ち着きました。
「いさせて」を「いたい」にすることで、悪い女であることに後ろめたさはあるけど、この瞬間だけは自分の意思でフィエロへの想いを果たすのだというエルファバらしい信念が感じられると思います。
「こんな気持ちになるなんて」は「こんな気持ち初めて」ほどは“for the first time”に忠実ではありませんが、この気持ちを感じることが初めてだというニュアンスを、諦めていた恋を実らせることができる喜びと興奮や、“wicked”というレッテルにあらがっていたのに“wicked”と思うことをしようとしている自分に対する驚きと共に表すことができているのではないかと思います。
また、「こんな気持ち初めて」よりも自然な言葉遣いで観客の心にストンと落ちやすいフレーズになっています。
「どうしたんだい?」のお直し
自然な言葉遣いという観点からフィエロの“What is it?”を考えてみると、「どうしたんだい?」という翻訳は芝居がかった仰々しさを感じてしまいます。
現実で恋仲の若い男女の間で「どうしたんだい?」という問いかけが使われる場面があるとしたら、やはり芝居調に茶化すようなトーンで大げさに話しかけるような時くらいではないでしょうか。
好みの問題もありますが、「どうした?」や「どうかした?」の方が自然で違和感のない素敵なラブシーンになるように思います。
「何でもない…ただ」のお直し
原文の“It’s just”に対応する「何でもない…ただ」は削ってしまって良いのではないかと思います。
フィエロの問いかけから「生まれて初めて、幸せ」への繋ぎとしての役割を担っていましたが、「こんな気持ちになるなんて」でその役割を十分に果たせるからです。
お直し結果
以上のことから、
とお直ししてみました。
まとめ
今回のお直しのまとめです。
お直し後のエルファバの言葉では上の①~③の感情が表現されていると思いますし、エルファバが初めて自分の「悪い」面を認識するというポイントも押さえられています。
「幸せ」という分かりやすい語を使っていないが故に、台詞の意図を全員がすぐさま理解できるとは限らないという懸念も(原文と同様に)出てくるかもしれません。
しかし、観た人が後になって「あれはどんな意味だったのかな」と考えたり、その過程で制作側も想定していなかったような意味を見出したりすることもあるでしょう。
感動をその場で提供して終わりではなく、観客が自分で想像できるような余地を残しておいた方が、作品の深みが増すのではないでしょうか。
その意味で、上述したように平易な言葉だけで表現するのは、観客の思考を停止させてしまいそれ以上の広がりが見込めないというデメリットも孕んでいると思います。
もちろん舞台は生もので、その場での感動も大切です。終始小難しい台詞を並べられても観客が置き去りになってしまいます。
そのバランスをとるのは難しいですが、訳詞を考える上で重要なポイントのうちの一つなのではないかと思います。
コメント